書評 総被曝者の時代      危ない金属リサイクル 佐藤幸男 監修/佐藤ニナ・松浦千秋 著 海鳴社 /1545円    評者 三矢 勝  二つの意味で衝撃的な本である。  1992年のある日、台湾電力の社宅に住む一人の社員が、職場から偶然に放射線 測定機を持ち帰った。社宅の室内で子供にその使い方を教えていると、放射線測定機 は異常な数値を示しはじめる。台湾で起きた放射能汚染住宅事件はこうして始まっ た。  この社宅に使われている鉄材、それはスクラップを混入したリサイクル鉄材であっ たのだが、これにコバルト60がまぎれこんでいたのである。建設されて9年もの間、 社宅の住民は放射線に曝されながら暮らしていた。そして、問題はこれだけにとどま らなかった。その後の調査で、信じられない事実が次々と明らかになっていった。汚 染は恐ろしい拡がりを見せていたのである。1995年5月までに台湾北部だけで 85棟以上の汚染住宅が見つかり、その中には学校や幼稚園、デパートまでが含まれて いた。  この本の著者の一人である佐藤ニナ氏は、この問題に当初からかかわりながら、被 害を受けた住民の支援も行ってきた。実際に起きた汚染による被害の実態も叉、背筋 が凍り付くほど深刻である。  本書では汚染住宅の一つである民生別荘の被害実例を、一章設けて詳しく取り上げ ている。もう一人の著者である松浦千秋氏は、この健康被害の調査と対策に先頭で当 たった医療関係者である。  放射線被害、被曝の恐ろしさはそれが身体に及ぼす結果が深刻であるということだ けではない。本当の恐ろしさはこの被害が人間の五感によっては感じられることな く、常に背後から忍び寄るように襲って来ることである。それも、証拠をほとんど残 さずに。どんな事故もこの例のように「偶然」発見される。被害者は知らない間に病 気になったり死亡しており、放射線による被曝であったことは、原因を調べるための 意識的な調査によってかろうじて明らかにされる。こと放射性物質に関しては私たち の感覚は無力に等しいのだ。  だが本当に衝撃的なのはもう一つの意味においてである。  それはこうした事故や事件が、すでに日本を含めた世界各国で数多く起きており、 こうした事故を呼び起こす要因や原因はいささかも減少していないということであ る。いや、私たちの生活そのものに根ざしているこれらの要因はいよいよ増加してい る、と言ってもいい。  放射性物質はすでに私達の身近に数多く存在している。医療機関の検査では、直接 私達の体に向けて放射線を照射したり、放射性物質を投与している。工業的な検査に おいても、かなりの量の放射性物質が取り扱われている。もちろん、こうした放射性 物質には厳密な管理が要求されている。しかし、こうした放射性物質がこれを使う医 療機関や工場の閉鎖、移転、廃棄に伴って管理の枠外に放り出された途端、その行方 は闇のかなたに消え去る。管理の網をすり抜けた放射性物質の多くは、リサイクル業 者によって運ばれ、転売され、製品化される。製品化の過程で原材料と混合した放射 性物質は、原材料の中で拡散し、大量の汚染材料を生みだす。ほとんどの汚染材料は 放射性物質と二度と分離できないのである。  本書によれば、日本における放射性物質の紛失事件は、1973年から1993年 までに38件発生しており、そのうち10件は未発見である。放射能汚染大国と本書 が呼ぶアメリカからの鉄スクラップの輸入は、全輸入量の50パーセントを超える。 増え続ける低レベル放射性廃棄物の問題と絡めて、原子力発電所の廃炉に伴う解体廃 棄物のリサイクルがすでに検討され始めている。原子力発電所の廃材がマンションの 鉄筋材に使われることなど絶対にないとは、もはや言いきれない。  著者らはもとより、危機感を煽るだけで、ことの真の姿や原因をいささかも明らか にしない、センセーショナルな描き方を拒否している。それは、そうした手法が一時 の興味や好奇心はかき立てても、本当に解決に役立つ、しっかりとした人々の認識 や、それにもとずく行動には決して結びつかないことをよく知っているからである。  本書の書名をあえて「総被爆者の時代」としたのは、こうした著者らの姿勢による ものであることは疑いがない。著者らは「今マンションが危ない」式のアジテーショ ンで読者を獲得しようとするのではなく、実際に起きた事実の念入りな調査と分析を 淡々と積み上げることによって、もっとも核心的で重要なメッセージを私たちに突き 付けている。  なお、著者の一人である佐藤ニナ氏は台湾出身の女性である。彼女は、中国語、英 語、日本語を駆使するが、その中では日本語が一番不得手である。本書の中にも、や やギクシャクした表現が見受けられるのはそのせいであろう。しかし著者は、本書を あえてその一番不得意の日本語によって書いた。それはおそらく、日本人にこそ、こ の放射能スクラップの問題をシッカリ受け止めて欲しいという想いによるものに違い ない。今話題になっている産業廃棄物の問題を見ても明らかように、私達や行政は、 汚いゴミが自分の目の前から消え、誰かに押し付ければ問題が解決したと考えがちで ある。しかしこうした私たちや行政の対応こそが、放射能スクラップに関してはもっ とも危険な対応なのである。目の前から消えた、見えなくなった放射性物質こそが、 私達と子供たちに害を与え続ける。いつまでも、いつまでも、誰にも知られずに。 ゴミ問題、産業廃棄物問題に関心のある人々、リサイクル問題のかかわる人々に、ぜ ひ読んでもらいたい一冊である。  (みつや まさる 古書店主)